自分を認めてやるということ。
昨日、「オーラの泉」を見ていて、美輪さんが「せめて自分くらいは自分を認めてやりなさい。自分が味方になって認めてやれなくて誰が認めるの」っていうのが聞いたのですわ。
その時、なんだか自分も気が軽くなりました。
その時、なんだか自分も気が軽くなりました。
いつでもどんなことをしても「私はダメだ」「なんで私は上手く出来ないんだろう、かけないんだろう」って悶々としているのが普通で、自分を認められなくてずっと苦しかったような気がします。
なんで家事がちゃんとできないんだろう。
なんでもっと仕事を頑張ろうとしないんだろう。
なんで時間を上手く使えないんだろう。
なんで他人と接するのが苦手なんだろう。
なんで?
なんで?
なんで?
ずっとくるくる回ってやけになって、自分に「できないやつ」のレッテル貼るのが得意でした。張ってしまうとそれが免罪符になって気が楽になっていたのかもしれない。
「だって私できないんだもん」
でもそんなレッテル貼っているのも嫌でたまらなくて
ずーっとしんどかったんです。
それがこの一言を聞いて、「こんな自分なんだからなおさら自分で愛してやらなきゃだめなんだ。こんな自分でも良しと認めてあげよう。」
「うん、それなりに頑張ってるよ、私」
主婦として半人前だし、絵だって今ひとつだけど。
それなりに頑張ってる。
未だいろいろ悩みはしょってますが、少しだけ肩の荷が下りた気がします。
少しばかり秘密のお話でした。
なんで家事がちゃんとできないんだろう。
なんでもっと仕事を頑張ろうとしないんだろう。
なんで時間を上手く使えないんだろう。
なんで他人と接するのが苦手なんだろう。
なんで?
なんで?
なんで?
ずっとくるくる回ってやけになって、自分に「できないやつ」のレッテル貼るのが得意でした。張ってしまうとそれが免罪符になって気が楽になっていたのかもしれない。
「だって私できないんだもん」
でもそんなレッテル貼っているのも嫌でたまらなくて
ずーっとしんどかったんです。
それがこの一言を聞いて、「こんな自分なんだからなおさら自分で愛してやらなきゃだめなんだ。こんな自分でも良しと認めてあげよう。」
「うん、それなりに頑張ってるよ、私」
主婦として半人前だし、絵だって今ひとつだけど。
それなりに頑張ってる。
未だいろいろ悩みはしょってますが、少しだけ肩の荷が下りた気がします。
少しばかり秘密のお話でした。